2020/04~06 激動

気が付けばブログを更新できないまま3ヶ月が経っていた.いつも通り1ヶ月ごとに記事がかけたらいいんだけど、言いたいことはまとまっているし、この記事一つにまとめておこう。

大まかにこの3ヶ月の出来事(大変だったこと)を3つにまとめると、ざっとこんな感じだ。

  • 休みがなかった(意識的に作れなかった)
  • 進路探しに困った(D進, 就職, or what else?)
  • 生活スタイルが崩壊した

4月

出そうとしていた国際会議の投稿〆切が延長になった。多少ショックではあったけど、論文も「これで出しても絶対に落ちるな...」と思ってしまうくらい酷い出来だったし、不幸中の幸いだったのかもしれない。3ヶ月後の〆切を目指して、改めて頑張ることにした。

その直後、住んでいた賃貸を解約して、寮に引越しをした。 新年度の引越し時期と時勢が相まって、手続きは例年以上に大変だった気がする。 いつ県外移動や外出自粛が掛かるのか窺いながら、日時を決めたりするのは中々骨が折れる作業だった。 でも一番しんどかったのは、新居の大掃除だったと思う。 前に住んでた人が割とズボラだったみたいで、トイレの水漏れが放置されていたり、机の裏にトンボの死骸が転がっていたりした。 内心イラっとはしたけど、1週間徹底的に掃除をして、何とか住めるレベルにできたんじゃないかな。 要らなくなった家電を譲り渡したり、車の引継ぎ作業もしたりして、研究にも手が回らず、パニック状態だった。

就活はコロナの影響をモロに受けた。就活とD進で凄く迷っていて、新卒採用で2社だけ受けている。そのうちの1社は、1月から2,3回面談をしていて、是非ジョブマッチングで面接しましょう!と連絡をいただく程度には良好なはずだったんだけど、4月の県外移動自粛の影響か面談の話が流れ、そのままエントリーでお祈りされる結果になった。嘘だろ?って言いたい気持ちは山々なんだけど、泣き言言ってもどうしようもないので、縁がなかったのかなぁと今は思っている。それに、D進と就活の迷いの感情が、エントリーシートにも滲み出ていたのかもしれない。そこは分けて考えないと、反省。

5月

ずっと学振の書類を書いていた。 D進を検討している身として、少なくとも研究計画は考えておくべきだと考えていたのが、学振を申し込んだ主な理由だ(学振書類自体を書いてみたかったのもある)。 とにかく、書き上げるだけでも苦労した。 第1稿を書き上げるだけで2週間かかったし、それでも完成版とは中身が全然変わっているくらい考えが全然まとまらない。 特に自己評価ではURAから「この理由なら文科省にでも入ればいいと思います」と厳し目のアドバイスを貰ったりして、自己啓発みたいになっていたと思う。 どうすれば読み手がイメージしやすい表現になるかとか、どこまで風呂敷を広げて構成を立てるかとか、今まであまり意識できていなかったなぁと痛感した。 でも自分の今後と苦しみながらでも向き合えたという面ではよかったと思う。 申請の可否はともかく、博士の研究テーマとか理想の研究者像とか1ヶ月丸々使って考えられて、将来的な目標ははっきりできたかな。 次読み直す頃には、自分からダメ出しできるくらい書くスキルを上げていきたい。

6月

延期になっていた国際会議のへの論文投稿に向けて、研究を進めた。お世話になっている先輩たちがとにかく凄くて(語彙力不足)、とにかく圧倒されていた感じ。特に論文の構成や文章の書き方(特にintro)について、わざわざ時間を割いてまで教えてくださって、ありがたさと情けなさの感情が入り混じりになっていた。自分のレベルと先輩のレベルは歴然としているし、どれくらい時間が掛かるかはわからないけれど、いずれ後輩にもアドバイスできるようにしないといけないし、そうありたいと思う。この辺の話は長くなるので、また別の記事で書こう。

ただ、生活スタイルが完全崩壊して、若干気がおかしくなった。年始からノンストップで作業を続けてきて溜まった疲労や、定まらない進路に対する精神的苦痛が相まって、寝られないというよりも、寝ることを忘れているような感覚。もちろんそんなことをして良い訳がなくて、予定をすっぽかしたり考えが回らなかったりしたし、それを取り戻そうとしてより寝なくなるスパイラルに陥った。後半に掛かると人に迷惑をかけるようにもなってきて、お世話になっている人への申し訳なさで苦しくなっていった。7月は生活スタイルを戻しながら、少し心と体を和らげていこう。