2020/10 博士号、直で取るか?隔てて取るか?(後篇)

やることは少なめだったはずなのに、ずっとバタバタしたまま1ヶ月が過ぎていた。
一番の原因は睡眠不足。 私生活を整えて最初は順調だったが、肝心の睡眠が足りていないことに気づいていなかった。 気づけば体力に限界と同時に〆切も来て、精神がよりおかしくなってしまった。 次は睡眠時間も考慮してベターな研究スタイルを考えよう。

先々月に書いていた話について検討を重ねた結果、博士進学を選択した。 再度先生や企業の方とも面談をさせていただき、色々と事情を聞いた上での決定。 最後は思い切りの問題だった。

これまでの経緯を表現するなら、「理想的思考と現実的思考の綱引き」という感じだ。
半年の間、イベントを重ねて状況が変わるごとに「今の研究を続けて形にしたい」「博士とって、また新しい研究テーマを自分で開拓していきたい」と理想を求める感情、「今博士を取る必要は本当にあるのか?」「3年間順調にいくとは限らないし、その先も分からない」と現実的に考える感情が揺れ動いた。
一言で言ってしまえば、只の優柔不断。関係者の方々にも色々と迷惑をかけてしまったし、そこは反省しないといけない。

今回の経緯を踏まえて、「博士に行くべきか」の解は出せないことがわかった。 でも「博士に行くべきだったか」はこれから帰納的に求められるんじゃないかとも考えている。 これができれば成功、と自分が感じられる要素がいくつかあって、この条件が満たせるか次第で行くべきだったかは分かる気がする。 現段階ではそれの必要条件が何なのかは全く分からないけど、これからの人生の中で見つけていきたい。

加えて、これからの進路選択にはタイムリミットを設けることを今後の教訓にしておく。 今年のケースはレアなのかもしれないけど、結果待ちや選択肢の迷いをずっと続けていると
1. 「両方の結果を出して決めよう 」
2. 「受かったらこっち,落ちたらあっち」(手段と目的が入れ替わる)
3. 「そんなモチベーションで大丈夫か」 (現状に不安をもつ)
4. 「どれをとってもダメな気がしてきた」(元々の目的自体が間違いに感じる)
といった流れで、研究面に支障が起きるレベルでメンタルがやられることがわかった。 選択に迷っているのであれば、一度足元をみるタイミングをあらかじめ設定する。 その時期が来たら足を止め、仮にまだ全ての結果が出ていなくても決断をして腹を括る。 いつまでもズルズルと引っ張ってちゃダメだ。

2020/09 結果発表

春ごろに進めてきた結果が出始めた1ヶ月だった。 全体的にポジティブな結果が出て、先月と比べて気持ちが楽になった。 本を読む時間を作ったり、調理場の器具を新調したり、身の回りを整えたことも良かったのかも。

博士選考の結果が出た。 無事合格、ほっとした。 同期曰く、博士後期の学内選考は大体の学生が合格するらしい。 そもそもボスがOKサインを出さないと試験は受けられないし、それもそうかと思う。 (だからこそ逆にプレッシャーにもなるのだが、受かったから、まぁヨシ) 先月書いた通り、企業の最終面接もまだ残っている。 今は決めた進め方に沿って、一途に進めていくしかないかな。 優柔不断で本当にすみません。

修論の中間発表があった。 お世辞にも良いとは言えない発表だった。 簡潔に言うなら、早口すぎた。 これは自分の癖なのだけれど、練習が足りていない時ほど発表内容に補足を入れがちになる。 博士選考の時期とも被って早めに準備を進めていたからか、幾許か慢心があったかも。 修論の最終発表までの反省にしておく。

学振に落ちた。 全項目で評点が3.0の不採用B。 Tスコアもほぼ3.0で、全応募者の中でもほぼ真ん中の位置付けになる。 博論のテーマとしてはまぁまぁだけど、良い博論にするには、何か全体的に物足りないってところか。 正味、余程の奇跡が起きない限り採用はないだろうとは思っていたけど、全項目が平均点だったのはショックだった。 学振の読み会で「これは絶対通るでしょ」と思っていた人も不採用で、学振、とりわけDC1がいかにハードモードなのかを痛感する。 今の大学は100%外部から学生で構成されているし、学部から一貫して研究を続けている人でない限り、かなり厳しい関門なんだろうなぁ。 進学するなら、お金の問題はいずれ何とかしたい。

投稿した論文が無事Acceptされた。 他にも国内学会で査読付きの英語論文をWorkshopに投稿したので、今年度は査読付き論文が2本。 今の大学院に入学したときの目標として「英語論文(査読つき)を1本以上投稿する」を掲げてやってきたけど、まさか2本も出せるとは...。 特に今年は、実験方法や英語論文の書き方に関して共著者の力に助けられている。 アドバイスをいただいた先生や先輩方には深く感謝せねば。 次はロングで論文で投稿すること、ジャーナルに投稿することを目標にしていきたい。 そのためにも、もう少し論文を書く体力を蓄えよう。

2020/08 博士号、直で取るか?隔てて取るか?(前篇)

あらゆる出来事でピークを迎えた1ヶ月だった。 今振り返ると、そこまでタスクが山積していた訳でもなかったんだけど、心が追い付いていないような感覚。 本来休むつもりでいた7月に、ゆっくりと呼吸を整えられたかったことが大きく影響したのかもしれない。 どうにも鬱っぽくなりがちで、如何ともし難い日々が続いた。

博士後期課程の入学選考を受けた。 今年度はコロナの影響もあって、リモートでの実施。 でも、審査員の教員方は全員同じ会場に集まっているようで、リモートでやる意味?と正直思った。 発表自体は、前回の教訓を元に入念に資料を作ったおかげか、そこまで悪くはなかったかな。 評判も上々だったらしいし、9月の公示も問題はないはず。

話は逸れるけれど、そもそも僕が博士後期にそのまま進学するか、就職するかで迷っているのには理由がある。 それは、「博士後期には行きたいけど、何時が良いのかが分からない」ということだ。

僕が幼かった頃に父が博士号を取り、海外で研修に行ったり、特許やプロジェクトをバリバリ進めていく姿を見て、博士号に憧れみたいなものを感じていた。 今の研究も勿論楽しいし、博士後期の先輩も尊敬しているし、今後取り組んでみたいテーマもある。 そう考えると、博士後期に行くという選択肢に対して、足を踏み入れたいと思うのは当然なのかもしれない。 だけど、果たしてそれが今なのか?もう少し時間を置いて考えてみてもいいんじゃないか?とも思うのだ。

この1年半、学振を書いたり、中期の企業インターンに行ったり、深く考えてみたけどその答えは出なかった。 ぶっちゃけた話、この問題には最適解どころか満足解すらもないんだと思う。 どっちかを選んでも必ず未練は残る訳で、次の次のフェーズが来るまで心の片隅に置いておくべきなんだろう。

この結論は、学振の結果が出る10月までにはまとめたい。

2020/7 実戦で見えてくること

先月までの忙しさと体調管理の甘さが尾を引いて、思うように頭と体が動かない1ヶ月だった。 闇雲に動きすぎたせいか記憶も若干曖昧で、特にメンタルはかなり荒んでいたような気がする。

7月初めは、目標だった国際会議に論文を投稿した。 ただ、初めての論文投稿は自分が想像以上に過酷で、今原因を考えると、生活スタイルの歪みが溜まっていたことが一番大きかったかなと思う。 とにかく原稿提出や研究の進捗を寝る間を惜しんで進めようとした結果、体力がゼロの状態で論文を書き始めていた。 初めて英語で論文書く(+得意でもない)奴が、そんな状態でやって大丈夫か?という単純な話。

ただ、研究室の方々に添削やコメントをいただいたなかで、己の過ちを自認出来たことは大きかった。 次も書く機会があると思うし(というか絶対そうしたい)、教訓として課題をここにまとめておきたい。

一つ目は読み手を過信しないこと。 「意味は通ってるからヨシ」とか「まぁこれくらいの用語は知ってるやろ」くらいの要領で書くと、読み手の配慮に欠けた内容になる。 読み手を過信するということは書き手が慢心しているのと同じで、研究内容を気にしてばかりで読み手には全く気を使っていない状態は大変よろしくない。 知っている表現や単語を闇雲に使うのではなく、「ネイティブからみて自然な表現なのかな?」とか「ここもうちょっと説明が欲しいな?」とか逐一読み手の目線に戻ってチェックするようにしよう *1。 まず自分の原稿を読んでくれることへの感謝、そして思いやりは本当に重要。

2つ目は三者的に考えて書くことだ。 一昨年、今いる大学の選考面接で、前ボスに「君はこの研究がどうなってくれたら嬉しい?」と質問されてフリーズしてしまったことがある。 何でそんな簡単な質問すら答えられないんだと思うかもしれないけど、当時は手段やテーマを気にするあまり、本来の目的を見失ってしまっていた。 そして、今回もこれと同じことをやらかしている。 手段だけの内容や風呂敷がやたらと狭い内容の原稿を読まされたら、「そもそも何の役に立つの?何のためにやっているの?」と思うのは当たり前な話だ。 自分は作業そのものが目的に変わってしまいがちなので、「何で今このタスクをこの手法で解こうとしてるんだっけ?」の大筋の理由は書く前にリマインドしておきたい。 書き方に関しても、特にイントロでは、分野に詳しくない人も簡単に巨人の肩に登れるような「梯子」を立てるくらいの要領で書くのがベストなのかもしれない。

3つ目は論文の英語能力は自分の英語運用能力 + αだということ。 これまで自分は、恥ずかしながら、論文として書く英語とIELTSのような試験で書く英語を同じものだと勘違いしていた。 また、論文を書く前に読むサーベイは関連研究との差分をまとめるためだけのものだと考えてしまい、そこまで重要視出来ていなかった。 でも実際はそうではなくて、関連する論文では手法やアプローチがどうやって説明しているのかとか、どこに重点を置いて主張した方がいいのかがとても参考になる。 だから論文を書く時こそ、関連論文には目を通しておくべきだと思う。 もちろん丸々パクるのは剽窃になるのでダメだけど、非ネイティブ、非専門な人からみても分かりやすい上手い表現をサーベイを通じて見つけていこう.

3つの教訓をまとめると、意外に英語の運用能力云々の話ではないよね、ということが分かると思う。 これは英語に限ったことではなくて、苦手なことが潜在的な課題を具現化しやすくしてくれていることに最近は良く気づかされる。 一番勿体無いのはスキルや知識が足りないからと勘違いしてしまって、また同じミスを繰り返してしまうこと。 自分も最初はWritingのスキルや語彙の知識が足りないだろうなぁと思っていたけど、先輩の指摘をいただいてから、真の課題は独り善がりな自分の本質にあると気づくことが出来た。

分からない時やできない時は、相手の目線に立って何でできてないのか、何が問題に見えるのか理由を考える。 そして、自分が大丈夫と思ったらOKではなく、相手から見てなるほどと思えるような形にまで徹底的に変換していくことがこれから重要なんだと思う。 不得意なことをやる時は課題が見えるチャンスだと思って、なぜこういうミスをしたか最後に振り返る習慣をつけていこう。

*1:googleのbigram検索やarxivのcollocation検索は便利

2020/04~06 激動

気が付けばブログを更新できないまま3ヶ月が経っていた.いつも通り1ヶ月ごとに記事がかけたらいいんだけど、言いたいことはまとまっているし、この記事一つにまとめておこう。

大まかにこの3ヶ月の出来事(大変だったこと)を3つにまとめると、ざっとこんな感じだ。

  • 休みがなかった(意識的に作れなかった)
  • 進路探しに困った(D進, 就職, or what else?)
  • 生活スタイルが崩壊した

4月

出そうとしていた国際会議の投稿〆切が延長になった。多少ショックではあったけど、論文も「これで出しても絶対に落ちるな...」と思ってしまうくらい酷い出来だったし、不幸中の幸いだったのかもしれない。3ヶ月後の〆切を目指して、改めて頑張ることにした。

その直後、住んでいた賃貸を解約して、寮に引越しをした。 新年度の引越し時期と時勢が相まって、手続きは例年以上に大変だった気がする。 いつ県外移動や外出自粛が掛かるのか窺いながら、日時を決めたりするのは中々骨が折れる作業だった。 でも一番しんどかったのは、新居の大掃除だったと思う。 前に住んでた人が割とズボラだったみたいで、トイレの水漏れが放置されていたり、机の裏にトンボの死骸が転がっていたりした。 内心イラっとはしたけど、1週間徹底的に掃除をして、何とか住めるレベルにできたんじゃないかな。 要らなくなった家電を譲り渡したり、車の引継ぎ作業もしたりして、研究にも手が回らず、パニック状態だった。

就活はコロナの影響をモロに受けた。就活とD進で凄く迷っていて、新卒採用で2社だけ受けている。そのうちの1社は、1月から2,3回面談をしていて、是非ジョブマッチングで面接しましょう!と連絡をいただく程度には良好なはずだったんだけど、4月の県外移動自粛の影響か面談の話が流れ、そのままエントリーでお祈りされる結果になった。嘘だろ?って言いたい気持ちは山々なんだけど、泣き言言ってもどうしようもないので、縁がなかったのかなぁと今は思っている。それに、D進と就活の迷いの感情が、エントリーシートにも滲み出ていたのかもしれない。そこは分けて考えないと、反省。

5月

ずっと学振の書類を書いていた。 D進を検討している身として、少なくとも研究計画は考えておくべきだと考えていたのが、学振を申し込んだ主な理由だ(学振書類自体を書いてみたかったのもある)。 とにかく、書き上げるだけでも苦労した。 第1稿を書き上げるだけで2週間かかったし、それでも完成版とは中身が全然変わっているくらい考えが全然まとまらない。 特に自己評価ではURAから「この理由なら文科省にでも入ればいいと思います」と厳し目のアドバイスを貰ったりして、自己啓発みたいになっていたと思う。 どうすれば読み手がイメージしやすい表現になるかとか、どこまで風呂敷を広げて構成を立てるかとか、今まであまり意識できていなかったなぁと痛感した。 でも自分の今後と苦しみながらでも向き合えたという面ではよかったと思う。 申請の可否はともかく、博士の研究テーマとか理想の研究者像とか1ヶ月丸々使って考えられて、将来的な目標ははっきりできたかな。 次読み直す頃には、自分からダメ出しできるくらい書くスキルを上げていきたい。

6月

延期になっていた国際会議のへの論文投稿に向けて、研究を進めた。お世話になっている先輩たちがとにかく凄くて(語彙力不足)、とにかく圧倒されていた感じ。特に論文の構成や文章の書き方(特にintro)について、わざわざ時間を割いてまで教えてくださって、ありがたさと情けなさの感情が入り混じりになっていた。自分のレベルと先輩のレベルは歴然としているし、どれくらい時間が掛かるかはわからないけれど、いずれ後輩にもアドバイスできるようにしないといけないし、そうありたいと思う。この辺の話は長くなるので、また別の記事で書こう。

ただ、生活スタイルが完全崩壊して、若干気がおかしくなった。年始からノンストップで作業を続けてきて溜まった疲労や、定まらない進路に対する精神的苦痛が相まって、寝られないというよりも、寝ることを忘れているような感覚。もちろんそんなことをして良い訳がなくて、予定をすっぽかしたり考えが回らなかったりしたし、それを取り戻そうとしてより寝なくなるスパイラルに陥った。後半に掛かると人に迷惑をかけるようにもなってきて、お世話になっている人への申し訳なさで苦しくなっていった。7月は生活スタイルを戻しながら、少し心と体を和らげていこう。

奈良に来て1年が経ったので反省する

奈良の大学院に進学してから早一年が経った。ここで一度1年間を振り返ってみたい。

春(4月〜7月)

晴れて大学院生になる。とにかく周りのレベルの高さに衝撃を受けた。実は採点ミスがあったのではと思うほど不安になり、入試の成績開示を申請したら見事に合格最低点だった(逆に吹っ切れた)。

オンライン英会話で英語の勉強を始めた。レッスン数無制限が売りのサービスだったが、一部講師の癖が凄く(目を吊り上げるジェスチャーをされた時は流石にビックリした)、speakingに不慣れな点も相まって少し苦労した。

夏(8月〜9月)

新宿にある企業で1ヶ月程インターンに参加。契約したマンションが新宿2丁目にあることが発覚し、疾しいことはしていないものの景観的にハードな日常だった。

自分の人間力の低さ(コミュ力不足)とスキル不足(コーディングとか色々)に心が荒んだが、新宿御苑で物思いに耽ったらリセットできた。同僚に勧められマッチングアプリを使い始めるも3時間で挫折。

秋(10月〜12月)

ジムに通い始めた。インキーをしてしまい警備員に助けてもらったら、死後の世界についてお説教を受けた。おまけにスマホも失くした。

IELTSの勉強を始めたりオンライン英会話のサービスを変えたりした。講師に「君の場合はスキル以前にメンタルに問題があるね」とご指摘を受ける。初めて受けたIELTSの試験で自分の名前が聴き取れず、焦った。

冬(1月〜3月)

研究と論文執筆を進めていく内にライフスタイルが崩壊。進路にも迷ったり、諸々の事情も重なって完全にテンパっていた。途中から気力だけで動けてはいたものの、最後は精根尽き果てた。

お世話になった先輩方が卒業したり移動したりして、寂しい気持ちになった。お下がりで貰ったジャケットを着て出かけた初日に車にはねられる。

総括

ネガティブ(ネタ)なことばかり書いたが、他は良い事尽くめで、様々な方の助力に支えられ定めていた目標も粗方達成することができた。ただ、こうしておけば良かったと思うことも多々あるので、3つの面でまとめておく。

研究面

入学前から配属直後までの準備不足(ミス)が痛かった。和文でもいいから論文を読み漁って、一番興味のあるテーマが何で、どういうタスクと繋がりがあるか程度のことは知っておいた方が良かったと思う。

現状の知識や実力不足、ミスの多さが目立つのは仕方がないが、時間を掛けて辛抱強く続けていくしかない。

勉強面

授業は基本的に自分が面白そうと思ったものを受けるスタンスで受けたが、今思えば履修した授業の分野が偏りすぎた気がする。もう少し幅広い分野で授業を受けても良かった。

英語ではネイティブな発音が全然聴き取れず、話し書きの方も意味は伝わるけど表現としては微妙な文を発しがちだった。少し欲を言えば、英語以外にもう1言語学びたかったところ。

生活面

もう少し本を読みたかった。この1年を通して読みたい本は沢山見つかったので、研究や勉強以外の時間の作り方を身に付けていく必要がある。

奈良に来て1年が経ったので反省する睡眠時間がバラバラだった。去年読んだ本曰く、6時間睡眠を10日間続けると徹夜、19時間以上起きると飲酒と同レベルの集中力に無自覚に陥るらしい。やり残しを気にしてズルズルと活動時間を引っ張るのは止めにしよう。

2020/03 何がなんだか

コロナウイルスの影響もあるけど、就職に引越し準備,研究すべてにおいて重要至急な用事が多発し、これまで精神・肉体両方の面で一番忙しい月だった気がする。 やることが増える分タスクの取りこぼしやド忘れも頻繁に起こしてしまい、心技体全てにおいて不健康な状態になっていった。 質的な評価はともかく、全てやり切った自分を少し労いたい。

オンライン開催になっていた国内学会で発表した。 実際にはZoomというビデオ会議アプリを使ってポスター発表をした。死角がないので見る側に取っては良い方法だとは思うけど、 ポスターと比べて書ける量が少なかったり、聴く側の顔が出てこないので説明するタイミングが掴めなかったりと発表する側には厳しい点もあった印象。 結果的にオンラインでも問題無く出来るじゃん!とは思ったけど、次の発表は流石に現地でやりたいな...

研究室の解散式があった。 うちの研究室はボスが今年度で定年退職になるので、来年度から新しい先生と入れ替わりになる。今年に配属できたのも実は特殊なケースなのだ。 思えばこの一年間本当に色々なことがあった、十人十色な先輩、同期を見て今まで見えていた世界が全く違うものになったと思う。(M1のまとめはまた別の機会に書こう) 学部時代にも勿論先輩や同期はいたけど諸事情で途中で研究室から居なくなってしまったので、先輩方の送別自体も初めてだったりする。 思った以上に寂しい。でも自分にしてもらったことを後輩に還元できるように頑張ろう。

歩いていたら車にはねられた。 幸い無傷だったのでよかったけど、はねられる瞬間は生きた心地がしなかった。 今思えば、はねられた直後に「えっ、今?」と怪我よりも進捗で頭の中がパニックになるくらい、論文の締め切りや進路で切迫しすぎて正気を失っていたと思う。 天から「頭を冷やせ」とキツめのビンタを食らったと考えるようにしとく。

国際会議の締め切りが3ヶ月延期になった。 shortで第1稿の論文を書き上げ、いざ添削!というところで延期の連絡がきた。 3月の切り詰め具合もありガクッとはなったけど、実はちょっと助かったとも言える。 今の進捗だとshortだと文量が少なく、かといってLongだと現状不十分という中途半端な状況にあり、書いた内容に自分自身で納得がいっていなかった。 英文の構成も、英語論文の執筆自体が初めてな状況で無茶して書いたところもあって滅茶苦茶だったし、残りの期間を有効に使わせてもらおう。

来月も引越しや就活、学振など目白押しだが、新型コロナの影響をまた受けると思う。 あえて心体を休ませる期間をちょっと作るとか有効活用するようにしよう。 これからも今と同じように忙しい時期はくるはず(むしろ今までが来なさすぎ)だし、M2からはこのペースに慣れるようにしていきたい。