2020/7 実戦で見えてくること

先月までの忙しさと体調管理の甘さが尾を引いて、思うように頭と体が動かない1ヶ月だった。 闇雲に動きすぎたせいか記憶も若干曖昧で、特にメンタルはかなり荒んでいたような気がする。

7月初めは、目標だった国際会議に論文を投稿した。 ただ、初めての論文投稿は自分が想像以上に過酷で、今原因を考えると、生活スタイルの歪みが溜まっていたことが一番大きかったかなと思う。 とにかく原稿提出や研究の進捗を寝る間を惜しんで進めようとした結果、体力がゼロの状態で論文を書き始めていた。 初めて英語で論文書く(+得意でもない)奴が、そんな状態でやって大丈夫か?という単純な話。

ただ、研究室の方々に添削やコメントをいただいたなかで、己の過ちを自認出来たことは大きかった。 次も書く機会があると思うし(というか絶対そうしたい)、教訓として課題をここにまとめておきたい。

一つ目は読み手を過信しないこと。 「意味は通ってるからヨシ」とか「まぁこれくらいの用語は知ってるやろ」くらいの要領で書くと、読み手の配慮に欠けた内容になる。 読み手を過信するということは書き手が慢心しているのと同じで、研究内容を気にしてばかりで読み手には全く気を使っていない状態は大変よろしくない。 知っている表現や単語を闇雲に使うのではなく、「ネイティブからみて自然な表現なのかな?」とか「ここもうちょっと説明が欲しいな?」とか逐一読み手の目線に戻ってチェックするようにしよう *1。 まず自分の原稿を読んでくれることへの感謝、そして思いやりは本当に重要。

2つ目は三者的に考えて書くことだ。 一昨年、今いる大学の選考面接で、前ボスに「君はこの研究がどうなってくれたら嬉しい?」と質問されてフリーズしてしまったことがある。 何でそんな簡単な質問すら答えられないんだと思うかもしれないけど、当時は手段やテーマを気にするあまり、本来の目的を見失ってしまっていた。 そして、今回もこれと同じことをやらかしている。 手段だけの内容や風呂敷がやたらと狭い内容の原稿を読まされたら、「そもそも何の役に立つの?何のためにやっているの?」と思うのは当たり前な話だ。 自分は作業そのものが目的に変わってしまいがちなので、「何で今このタスクをこの手法で解こうとしてるんだっけ?」の大筋の理由は書く前にリマインドしておきたい。 書き方に関しても、特にイントロでは、分野に詳しくない人も簡単に巨人の肩に登れるような「梯子」を立てるくらいの要領で書くのがベストなのかもしれない。

3つ目は論文の英語能力は自分の英語運用能力 + αだということ。 これまで自分は、恥ずかしながら、論文として書く英語とIELTSのような試験で書く英語を同じものだと勘違いしていた。 また、論文を書く前に読むサーベイは関連研究との差分をまとめるためだけのものだと考えてしまい、そこまで重要視出来ていなかった。 でも実際はそうではなくて、関連する論文では手法やアプローチがどうやって説明しているのかとか、どこに重点を置いて主張した方がいいのかがとても参考になる。 だから論文を書く時こそ、関連論文には目を通しておくべきだと思う。 もちろん丸々パクるのは剽窃になるのでダメだけど、非ネイティブ、非専門な人からみても分かりやすい上手い表現をサーベイを通じて見つけていこう.

3つの教訓をまとめると、意外に英語の運用能力云々の話ではないよね、ということが分かると思う。 これは英語に限ったことではなくて、苦手なことが潜在的な課題を具現化しやすくしてくれていることに最近は良く気づかされる。 一番勿体無いのはスキルや知識が足りないからと勘違いしてしまって、また同じミスを繰り返してしまうこと。 自分も最初はWritingのスキルや語彙の知識が足りないだろうなぁと思っていたけど、先輩の指摘をいただいてから、真の課題は独り善がりな自分の本質にあると気づくことが出来た。

分からない時やできない時は、相手の目線に立って何でできてないのか、何が問題に見えるのか理由を考える。 そして、自分が大丈夫と思ったらOKではなく、相手から見てなるほどと思えるような形にまで徹底的に変換していくことがこれから重要なんだと思う。 不得意なことをやる時は課題が見えるチャンスだと思って、なぜこういうミスをしたか最後に振り返る習慣をつけていこう。

*1:googleのbigram検索やarxivのcollocation検索は便利